リオ五輪50km競歩銅メダリスト荒井広宙さん現役引退〜競技人生を振り返る

2022-10-22 07:00 am by 須坂新聞

スポーツ icon 「楽しいから歩いていた」―。そんな純粋な気持ちが、2016年リオデジャネイロ五輪男子50km競歩銅メダリストで、このほど現役引退を表明した小布施町大島出身の荒井広宙(ひろおき)さん(34、富士通)の原動力だった。競歩に対する熱い思いを胸に、ときには大胆な決断で高みを目指し続けた。長丁場の過酷なレースを戦う50km種目が「こつこつ積み上げタイプ」と言う自身を生かせる場所だった。 
 競歩との出会いは中野実業高(現中野立志館高)時代。1学年先輩の藤澤勇さん(ロンドン、リオ両五輪20km代表、中野市出身)に憧れ、2年の時に長距離から転向した。
 高校時代は無名の選手だった。それでも「競歩に関しては譲れない部分があった」。福井工業大2年で大学の陸上部を辞め、その後は競歩専門の指導者で小松短期大監督(当時)の内田隆幸さん(現愛知製鋼コーチ)に師事。50km選手としての素質を見いだされ、安定した歩型を磨いて成長を遂げた。
 リオ五輪の銅メダルをはじめ、計4度出場した世界選手権は17年ロンドン大会で銀メダルを獲得。18年世界競歩チーム選手権では、個人と団体で2冠に輝いた。
 19年には東京五輪に向け、自衛隊体育学校から富士通に移籍。指導者を求めて環境を一新したが、ここ数年は結果を出せずに苦しんだ。低迷の原因はけが。移籍直後の19年夏に恥骨を、翌20年夏には左足甲を痛めた。
 「夏場の大事な時期」に故障が続き、筋力や心肺機能など「一気に力がなくなってしまった。何とか立て直そうと思ってやってきたが戻らなかった」。
 昨年4月、東京五輪出場を懸けて臨んだ代表選考会で7位に沈んだ。「このままでは終わりたくない」。レース後には、そう自らを鼓舞するように語っていたが、「これで引退かなと覚悟はした」と、当時の複雑な胸中を明かした。
 「富士通からもう1年チャンスをもらった」と復活を目指したが、今年の世界選手権にも届かなかった。新種目35kmへの対応も難しかったようだ。「ここが潮時」。9月24日、全日本実業団対抗選手権1万m競歩を最後に現役生活に終止符を打った。

10月22日付須坂新聞16面にはインタビュー記事

2022-10-22 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント



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