伊能忠敬の足跡後世に〜八幡墨坂神社に記念碑と案内板

2016-08-20 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 八幡墨坂神社(須坂市八幡町、山岸孝爾=こうじ=宮司、堀内孝雄氏子総代会長)は、江戸時代に全国各地を測量して日本地図を作った伊能忠敬(1745〜1818)が200年前の第8次測量で同社を通過する際、道から神前までの距離を測量し記録していることを後世に伝えようと先ごろ、記念碑を設置した。
 伊能忠敬日記によると、文化11(1814)年5月4日(旧暦、新暦6月21日)に須坂町から若穂を通り松代までの測量の途上、往還(ほぼ現国道403号の位置)から参道に進み、神前までの距離を測量している。1町24間(152m)と記録している。
 国道の拡幅や社殿の改築により、200年前と位置が多少変わっているものとみられるが、記念碑は拝殿の手前に設置された。碑は縦30cm、横36cm、厚さ4.5cmの黒御影石。施工は高橋石材店(高橋昭一代表、八幡町)。
 伊能測量隊は、前日の5月3日、飯山を出発し、中野・小布施・須坂へ、ほぼ国道403号を進んだようだ。須坂町上町寿泉院付近の本陣、脇本陣に宿泊した(伊能忠敬日記)。
 5月4日は朝6時に出発。須坂町下町・中町境、松代道追分(前日に印を残す)から松代道を測量。横町〜小山村枝八幡村〜式内墨坂神社〜市川渡河〜米持村〜鮎川渡河〜幸高村〜井上村〜仁礼大笹道追分〜綿内村枝牛池へと進んだと記す。
 測量は1日のルートの前半(後手)と後半(先手)の2組に分かれて実施された。伊能忠敬ら5人は後手を担当。式内墨坂神社の神前まで測り、参拝したものとみられる。
 記念碑の設置に合わせ、2人の研究者が氏子総代らに研究成果を発表した。
 発表は、200年前の須坂測量について、昨年度、森上小で6年生と調査研究した嶋田秀樹前教頭(和算研究家、須坂市田の神町)と伊能忠敬測量資料を提供した市川美津夫さん(伊能ウオーク主宰者・伊能忠敬研究者、同福島町)。
 嶋田前教頭は、森上小敷地内を真っすぐ通過した測量ルートなど研究成果を発表した。「地域の文化遺産として伊能測量隊の残した価値を広げ、子供たちに引き継ぐ歴史性がある」と述べた。
 昨年度の6年生のうち、代表2人と、担任で共に研究した桜井直子教諭(森上小)が同席した。
 小林陸君(中1)は「昔の川や道などをいろいろ見つけ、興味深く、楽しかった」。川本健太君(同)は「伊能測量隊が近くを通ったり、測量にずれがなかったことにびっくりした。(伊能さんの)業績はすごかったと思う」と感想を氏子総代らに語った。
 市川さんは「伊能公が須坂に測量に来られたことを、次代を担う小学生にも分かりやすいメッセージとして発信できる、立派な拠点ができたことは喜ばしい」と述べた。
 なお、記念碑の設置に先立ち、先ごろ、須坂中央地域づくり推進委員会(関野友憲委員長)が平成27年度事業で案内板を森上小敷地内と八幡墨坂神社参道入り口に設置した。

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