【特集「長野空襲」】住民犠牲、学校も損壊〜轟清秀さん(82、長野市)

2017-08-11 07:01 am by 須坂新聞

お知らせ icon 昭和16年に国民学校に入学した。その年に真珠湾攻撃があった。長野空襲の日は朝6時半ごろ、朝ご飯を食べていたらラジオから空襲警報が流れ、外を見たら兵隊が逃げている様子が見えた。間もなく戦闘機の音が聞こえて「バリバリバリ」と機銃掃射があった。
 家族で防空壕に逃げたら、すでに兵隊がいて入れず、養蚕の桑を入れる室に逃げた。長野飛行場の掩体(えんたい)壕(飛行機を隠す壕)の飛行機を狙った機銃掃射があり、落ちてきた薬きょうの「カラカラ、カラカラ」という音が不気味だった。
 家に戻ったら室内が爆風ですすだらけで、畳が真っ黒だった。2時間ほど経ったら2回目の空襲があった。松岡神社に隠してあった戦闘機「隼」が攻撃されて、曳光弾で近くの民家が火事になった。防空壕の中にいた人をみんなで救い出したが、2歳と6歳と9歳の子が3人亡くなった。大人も大けがをして血だらけだった。
 2回目の空襲の時、長野飛行場近くの川合新田の民家に爆弾が落とされ、防空壕の中にいた一家9人が亡くなった。
 3回目の空襲が終わった後、若穂小出の親戚の家に避難した。落合橋の近くに行ったら4回目の空襲があり、近くのアカシアの林に逃げ込んだ。止んだ後、落合橋を渡ったら、牛島の土手から松岡の様子を見ている人が50人ぐらいいて「松岡は全滅だ」と言っていた。飛行場などが燃えていて、遠くから見ると本当にそういう風に見えた。小出の長田神社近くにいる時に5回目の空襲があった。
 15日に玉音放送があり、16日に松岡の自宅に帰った。家の周辺の田んぼに、爆弾の直径5mほどの穴がいくつも空いていた。また、学校に兵隊がいたため爆弾が落とされて教室も破壊されていた。
 これからを担う若者には、戦争のない、平和な世の中になるようにしてもらいたい。

2017-08-11 07:01 am by 須坂新聞 - 0 コメント



須坂新聞


 須坂新聞はタブロイド判(20P~24P)で毎週土曜発行(年間48回)長野県須高地域(須坂市・小布施町・高山村・長野市若穂地区)で購読をいただいております。また配達地域外でも郵送にてご購読いただけます。購読料は930円(月額/税込)です。購読お申し込みはこちらから。

須坂限定ホームページ作成無料