須坂市誌「近現代編」を発刊〜新史料随所に

2016-06-25 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 須坂市は先ごろ、『須坂市誌第五巻歴史編3(近現代編)』を発刊した。市誌編さん室が前段で文書目録(70点余)を整え、執筆者が6回の合同史料調査と25回の執筆者会議で記述内容を検討してまとめた。丸山文雄近現代部会長(市誌編さん専門員)は16日の取材に「苦難の時代を開拓してきた先人の歴史を史実に基づいて叙述し、掘り起こした。新史料が随所に投入され、読み応えのある、読者に納得してもらえる内容」と答えた。
 戊辰戦争が始まった慶応4(1868)年1月、堀直虎(須坂13代)は、大坂から江戸に引き上げた徳川慶喜に諫言(かんげん)し自刃した。主の死後、お家断絶の危機に家老ら家臣たちは藩論を勤王に統一。朝廷側には「朝廷の考えに背く慶喜に諫言した主の勤王の立場は明白」と勤王の志を弁明。同5月、恭之進(ゆきのしん、直虎弟、須坂14代堀直明=なおあきら=)は家督相続を許された。
 恭之進は佐幕派藩士3人(直虎側近)の動きが表面化しないよう密書で指令を発した。須坂藩は信濃諸藩とともに新政府軍(官軍)に参加した。
 丸山部会長は「直明を中心に勤王方に藩論を統一し、佐幕派藩士へ働きかけをしたことや戊辰戦争の状況が明らかになった」。
 明治3年12月に起きた須坂騒動は、直前の松代騒動、直後の中野騒動と連動し、世直し一揆と位置づけた。
 全国一の蚕種生産県を誇った長野の中で、一大拠点の高井郡川東組は、明治4年、5年に国内第一等賞を獲得した。千曲川の川風にさらされた歩桑(ぶっくわ、蚕のウジバエがつかない桑)地帯の福島村の組合は、特に品質に優れていた。
 明治9年、米国・フィラデルフィアで開かれた万国博覧会に長野県から出品された3点の一つ、樟虫織(げんじきむしおり)は、須坂町の山本きぬが制作した。樟(くす)の葉を食べて育つ樟虫の繭から採れた絹を原料に織った布が高く評価され、褒賞された。
 戦後の農地改革により、須坂町では自作地割合が昭和20年11月の64%から同25年8月の88%へ拡大。須坂町と井上・高甫・仁礼・豊丘・日野・豊洲6村の合計では、66%から90%へと拡大した。
 丸山部会長は「近代は製糸業を柱に叙述した。戦争の時代の開拓団や義勇軍、移民、食糧危機、引き揚げ、民主化、農地改革など、これまであまり書かれなかったことが盛り込まれている。さらに究明すべきことがたくさんあり、本書を土台に研究を進めてほしい」と話す。
 B5判、本文668ページ、口絵16ページ、CD-ROM付き、箱入れ。監修は上條宏之県短期大学学長。1部3,000円。第一巻自然編、第二巻地誌・民俗編、第四巻歴史編2(近世編)は既刊。28年度は歴史編1(原始・古代・中世編)を発刊予定。
 章立ては次の通り。
 第一編近代の須坂 1.須坂の明治維新 2.郡区町村編制法の実施と町村 3.製糸業最盛期の須坂 4.昭和恐慌期の須坂 5.戦争の拡大と須坂 6.太平洋戦争と須坂
 第二編現代の須坂 1.敗戦後の須坂 2.須坂市の誕生と市民 3.高度経済成長期の須坂市 4.低成長期の時代と須坂 5.バブル崩壊と市域の再生・創造

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