平安時代の竪穴住居跡検出〜坂創成高の教室棟予定地

2016-08-27 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 須坂創成高管理商業科棟ほか建築工事(県発注)に伴う埋蔵文化財調査で先ごろ、特別教室棟予定地から平安時代の竪穴住居跡とみられる遺構が検出された。
 住居跡は東西4m、南北3.7m(範囲外に続く)で、ほぼ正方形とみられる。北東側にカマドが設けられ、カマド周辺を中心に人頭大の丸い石が約30個あった。
 調査する須坂市教委生涯学習スポーツ課の田中一穂学芸員は「河原石が多数流れ込んでいる様子から、住居に人が住まなくなってから洪水に襲われたようだ。調査区域の大半は川の流路跡。川べりで川を利用して住んでいたのか」と話す。
 調査は20m四方(400平方メートル)。地面から南西側で2.3m、北東側で1.5m掘った。住居跡は東端に。カマドの中央にはサイコロ状(縦・横・高さ20cmの立方体)の石が置かれていた。「食材の調理に使ったのか」(同学芸員)。
 また、カマド周辺には土師器(はじき、素焼き土器)の土器片が数多く出土した。
 カマド東側からは、須恵器(すえき、陶質の土器)のつき(茶わんより浅く、皿より深い器)の完形が出た。「住居に住んだ人が使ったと思われる9〜10世紀の土器」(同)。
 カマドのたき口は、土が赤く焼けて変色している南側か。中央にはすすが付着(炭化)していた。
 発掘調査は、管理商業科棟予定地(1区、5月末〜6月末)、昇降口棟予定地(2区、7月〜7月下旬)、特別教室棟予定地(3区、8月〜8月末)と進め、1・2区からも奈良・平安の遺物が出た。
 「1区からは川べりのキャンプ地(一時利用)跡や、須恵器のかめ、土師器の大形の鉢が出た。2区からは墨書土器片、須恵器のつきとふたのほぼ完形が出た」(同学芸員)。
 須坂園芸高校校庭遺跡(昭和34年、グラウンド整地で弥生土器が出土=須坂市指定有形文化財=。おびただしい木炭片から祭祀=さいし=的遺構とも)との関連を示すものは、「今のところ発見されていない。1〜3区の状況から古代のムラの残り物を見つけることができたが、平安から室町時代の間に洪水によって遺跡が壊されているようだ」とした。

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