2009-05-30 07:00 am by 須坂新聞
須坂市指定無形文化財の古川清行刀匠(61、村石町)は、平成21年新作名刀展((財)日本美術刀剣保存協会主催)で日本一に当たる「日本美術刀剣保存協会会長賞」に決まった。受賞式は6月9日、刀剣博物館(東京・代々木)で。同日から21日まで刀剣博物館で、その後は7月1日〜20日まで山形県鶴岡市の致道(ちどう)博物館で展覧される=写真は25日、八町薬師に隣接する鍛刀場で。
出展は刀。銘は信濃国清行、平成21年春。長さ約74cm。現在全国で約200人が作刀活動を続けているという。約25人が活躍する宮入一門での最高賞受賞は、人間国宝故宮入行平氏(坂城町)人間国宝天田昭次氏(新潟県)人間国宝大隅俊平氏(群馬県)上林(かんばやし)恒平氏(山形県)河内国平氏(奈良県)宮入小左衛門行平氏(坂城町)に続いて7人目。
日本刀の製作は戦国時代まで鉄の産地に刀かじが存在していた。備前、京、大和、美濃など。江戸時代は各藩のお抱えとなり、刀かじは各地に分散した。平和な時代が続くと美術品として進物用などでも流通したという。
明治の廃刀令以降、刀工はほぼ存在しなくなったが、戦後、古川刀匠の師宮入昭平氏が刀匠を夢見て上京し、腕を磨き、今日全国有数の一門形成に至っている。師は人間的魅力にもあふれ、弟子を熱心に育成。古川刀匠の弟子入り当時は5〜6人が住み込み、最盛期の感があったという。
信州では幕末に東部町出身の山浦真雄、清麿兄弟と真雄の子兼虎が活躍し、江戸でも名をはせていた。「(宮入師は)山浦一門を目標に実戦向きでより美しい刀を追い求めた」(古川刀匠)。
「名刀と呼ばれる日本刀は、時代の古い鎌倉時代に多い」と古川刀匠は指摘する。当時の刀はどんなふうに作っていたのか。宮入一門に入門する動機でもある製法の謎を完成品から探る長い旅は、40年の歳月を費やしここに「日本一の栄冠」へと結実した。
「名刀はできた時から名刀で、名刀と認められて残った。古い時代の物と比べるとまだまだだが、表現したい物が少しずつ形になってきたとは思う。頼るのは自分だけ。作者とすれば去年よりわずかでもよかったと言われると気持ちの上ではありがたい。頭の中で精彩を放つ古い刀がライバルなのでいつまでたっても追いつけないが、創作意欲が高まる日本一の評価はうれしい」と話す。
2009-05-30 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント
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