須高郷土史研究会が『昭和の記録』発刊〜111人が共同自費出版

2021-11-27 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 須高郷土史研究会(井上光由会長)が共同自費出版事業として会員をはじめ広く有志に原稿を募り、111人が2,400字以内で寄せた『昭和の記録・私の思い出』が先ごろ、発刊された=。A5判、482ページ。編集は刊行委員会(委員4人)。刊行委員で発起人の片山久志さん(76、高山村)は「昭和が遠くなりつつあり、今やらないと残らないと思った。人々の生の声を伝えることができてほっとしている」と話す。
 研究会は、昭和を語る人が日に日に少なくなっている現在、忘れられない出来事や伝え残したい庶民の暮らしぶり、体験談、生の声を、後世に残そうと出版を企画。昨年から今年春にかけて原稿を募集した。
 執筆者は大正9年生まれの101歳から昭和37年生まれの59歳まで。大正生まれ2人、昭和生まれ109人。男性74人、女性36人、団体1。
 本人や肉親の出征、悲しい別れ、集団学童疎開、昭和20年8月13日の長野空襲、同15日の天皇陛下玉音放送、戦時下の国民学校、昭和の暮らし、ふるさとの山、エノキダケや巨峰栽培・養蚕・畑仕事・米作り・会社勤め・海外勤務、戦後の教科書、安保闘争、映画ロケ、松代群発地震、少年・少女時代、母の味、河東線、オリンピック、味噌造り、変貌する須坂市街、千曲川木橋、屋島の渡し、千曲川堤防など百人百様の貴重な記録集だ。
 永井元さん(大正14年生まれ)は「武器の無い兵隊さん」の中で苛烈を極めた昭和の戦争を記録。「15日のラジオ放送はほとんど聞き取れず、部隊長から敗戦の玉音だと伝えられた」「日本が見えた時、皆、泣いた」と中国大陸からの生還を記している。
 山岸志津子さん(昭和18年生まれ)は「おばあさんの子どもの頃」の中で「物もなく、お金もない生活の中で大きな愛で包み育ててくれた両親に感謝」「戦争のない平和な時代に生きてこられたことに感謝する」。
 山上正建さん(昭和20年生まれ)は「父よ母よ昭和よありがとう」の中で「敗戦後の貧しさを手玉に取って他人を喜ばせ続けた我が父母、我が師匠に感謝。合掌」。
 師岡京子さん(昭和28年生まれ)は「私の歩んだ昭和時代」の中で「戦後の高度成長期を歩んだ私の昭和は、幼少期は多少不自由を感じても、平和な時代で幸せだった。大正生まれの母は厳しかったがすべて実になった。多くの方々に支えられ、皆様とつづらせていただけて感謝」と、それぞれの困難に向き合ってきた執筆者がそれぞれに感謝の言葉を記している。
 刊行委員は片山委員の他綿内剛美さん(若穂綿内)、関谷公さん(小布施町)、宮本圭子さん(須坂市)。
    ◇
 片山委員は「書くのはどうも…」と言う人にレコーダー持参で口述筆記をして原稿を作った。「書くことで気持ちの整理ができた」「肩の荷が下りた」という人の原稿を何度も読んだという。家電メーカーのカラーテレビ技術者を退職。後に学習塾を主宰。今は家庭教師で『須高』の編集に従事している。22日の取材に語った。聞き手は監物武記者。
 ―刊行の経緯は。
 片山 自著『昭和っ子の朝焼け』(『須高』連載「子供の戦後体験」を再編集、2017年刊)が懐かしいと読まれ、皆残すべきことがあると思ってきた。市町村誌は立派に一巡したが、人々の生の声は推測するしかないので昭和を生きた人々の貴重な体験談を形にすべきだと感じていた。
 ―刊行後の反響は。
 片山 肉親のことを書かれた人は仏壇や神棚に上げてから本を開けられ、やってよかったと思った。執筆者が恩師や同級生だったりして執筆者同士の交流が生まれた。満州開拓団幹部だった人の子供世代の行き来も始まったようだ。貴重な写真が何枚も入っている。111人の全てが面白かったことが編集が継続できた理由の一つ。
 1,200部印刷。須高・長野の小中高や図書館等に贈呈。定価3,300円(税込み)。販売は平安堂各店や片山委員(☎090-9852-2183)。

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