2012-02-19 07:00 am by 須坂新聞
須坂市と沖縄県名護市の屋部(やぶ)区民ら総勢114人が先ごろ、名護市で交流会を開いた。
平成21年秋、須坂市屋部町区民の樋口篤さん(61、会社員)が沖縄出張の際に観光し、名護市「屋部」の表示を見つけ、屋部地名の存在を知ったことがきっかけ。昨年2月、橋本明夫さん(当時区長)が市区長会事務局(市民課)に相談し、同課の仲介を経て橋本さんが沖縄訪問を申し込んだ。橋本団長、樋口副団長で訪問団を募り、区民23人が訪れた。
須坂市屋部町は2,054人、780世帯。一方の名護市は沖縄本島中北部にあり、人口約6万人。那覇空港からバスで1時間半の同市屋部区は本部(もとぶ)半島の付け根にあり、1,640人、623世帯。また屋部区など7区を合わせて屋部地区とも呼ばれ、8,800人が暮らす。屋部支所や屋部小、屋部中などがある。
須坂の屋部地名の由来について、参加者は「百々川の水が集まる所」と「矢を奉納した技術集団が住んだ所」の2説を紹介した。
名護市屋部の由来にも、「屋部川と西屋部川が海岸の手前で合流してできた中州や河口付近一帯の、水が集まる場所」との説明があったという。
また、娘たちが糸取りで本土へ出航するのを高台で見送る場所があり、競馬場(現屋部小)があったとの説明も、須坂市屋部町の製糸のまちへ女工に出た話や競馬場(現メセナホール)があった話と共通し、より親密度が高まったという。
歓迎ぶりも相当なもので、豚の丸焼きをはじめ沖縄料理がすべて女性の手料理でもてなされた。伝統舞踊の八月踊り(かぎやで風=ふう=、上り口説「踊り」、かせかけ「踊り」)や名護桜太鼓の会の子供たちの演舞など感動の涙を誘った。
土産に「魔よけのシーサー」「屋部の海岸の貝殻」が贈られた。
須坂側は事前にリンゴや地酒、菓子を贈り、三木市長のメッセージや須坂市、屋部町の概要を説明。県歌「信濃の国」を歌い、北信流(杯事)を実演した。
橋本団長は「歓迎ぶりにはただびっくりした。手料理を頂き、舞台の踊りも素晴らしかった。気持ちのあつさに涙が出た。ぜひ長野へお出かけくださいと申し上げた。1年かけて準備し参加者にも喜ばれた」と語った。
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