2015-06-27 07:00 am by 須坂新聞
平成25年7月の市教委埋蔵文化財調査で、八幡墨坂神社西隣(八幡浦遺跡、八幡町)から出土した人骨について、市生涯学習スポーツ課はこのほど、「鎌倉時代の人の可能性が高い。骨の復元調査から、成人女性と判明した」と本紙の取材に明かした。発掘直後には「黒い土の層から土器片が多数出土し、文様から縄文後期や弥生後期では」との見方を示していた。
人骨は18日の東中学校出張講座で展示された。骨は腐食・分解が進んでいたため25年夏に地面から取り上げた際、粒状に。4カ所は形を成した。展示はすね(長さ23cm、幅2.5cm)頭蓋骨(長さ5.5cm、幅4cm)骨盤(長さ4.3cm、幅2.4cm)歯1本。
発掘直後の25年夏に名古屋大学に依頼した骨(すねの一部)の放射性炭素年代測定(速報値)の結果、鎌倉時代と判明。その後、国立科学博物館(茨城県つくば市)に骨の復元調査を依頼し、成人女性と分かった。
田中一穂学芸員(埋蔵文化財担当)は、18日の取材に「人骨は弥生時代の土器と一緒に出てきたので弥生の人かと思ったが、年代測定の鑑定結果から、その上の砂の層(川砂、鎌倉時代)と関連し、鎌倉時代の人とみられる」とした。
砂の層から、成人女性は「川に流されたことが考えられる。当時川が流れていた可能性がある」。
さらに「昨年夏の国道403号拡幅に伴う埋蔵文化財調査では、お宮の南側から縄文晩期とみられる土器片が出土している。また、奈良・平安時代とみられる竪穴住居がその隣から出土し、お宮の南側にはムラがあった。お宮の西には川が流れていた。お宮を横切る川の存在から、八幡のお宮は鎌倉の人骨が埋まった以降に建てられたのではないかと考えられる」とした。
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