2019-01-26 07:00 am by 須坂新聞
奥田神社と同神社総代は、須坂藩13代藩主堀直虎公(1836〜68)の150回目の命日に当たる17日、臥竜山中腹にある直虎廟を訪れ、遺徳をしのぶと共に、没後150年祭の成功を報告し、来る175年忌に向けて郷土の英雄の偉大さをさらに広く伝える決意を誓った。
直虎公は藩政改革で藩政を立て直し、住民救済事業を行うと共にいち早く英国式の軍備を導入した。幕府では慶応3(1867)年12月から若年寄兼外国総奉行を務め、慶応4年1月17日、江戸城中で将軍徳川慶喜に諌言して自決、江戸城無血開城に影響を与えたともされる。
同神社と総代は毎年「叒譜の杜」桜まつりを開くなど、直虎公を身近に感じてもらう活動を続けており、没後150年祭では住民参加の創作劇や記念式典などで盛り立てた。
当日は同神社の勝山昭宮司の先導で祈願した。涌井二夫総代(塩川町)は「150年祭は多くの皆さんの協力で大成功を収め、直虎公が再評価された。直虎公は亡くなった翌年に祭神となった。これは歴史上あまり例がなく、直虎公がいかに地域の方々に慕われていたかが分かる。義に生き、志半ばに散った直虎公を惜しんだものと思われる。この先人の思いを受け継ぎ、伝えていきたい。それが地域文化の発展につながる」と話していた。
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